エッセイ

メールマガジン

 最近、男性育休の事が話題となっています。当院では3人の男性育休取得者があり、3人目が今月復帰しました。平成16年に子育て応援宣言を県内で18番目に宣言したおかげで、職場内での子育てに対する意識が変わり、今では「皆で子育てを応援しよう」という雰囲気になっています。その結果、男性育休が取りやすいのでしょう。

 男性が育休をとった感想は、「妻の苦労が分かりました。私がいないとこれを全部妻がやるのかと思うとぞっとしました」「一緒に子どもの成長が見守られ、家族の絆が深くなりました」などです。 職場の上司の感想は、「もともと優しかったけど、更に患者さんの言うことを親身になって聞くようになった」「育児は段取りが重要なので、それが仕事にも活かせるようになった」などです。この様に仕事の上でもプラスになります。どうぞ皆さん温かい目で見守って下さい。

 育休を取った男性が一番気にしていたのは、同僚へ迷惑をかけないかということです。当院では決して白い目で見られることはありませんが、言い出すのにはやはり勇気がいる様です。しかし、3人取得すると取りやすくなり、もう4人目の申請があっています。 男性育休を増やす1番の鍵はやはり職場の雰囲気です。皆さん、子育て応援宣言の輪を広げ、男性育休の取得向上にご理解・ご協力をお願いいたします。

(福岡県庁雇用開発課メールマガジンに掲載)

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経済誌の活用

皆さん、病院経営の本をよく読まれていると思いますが、一般の経済誌をお読みになった事がございますでしょうか。実は一般の経済誌も病院経営に通じる事もあり、結構おもしろく役に立つ記事も有ります。皆様ぜひ、一度手に取られてみて下さい。

私の日経3誌

私はここ10年来、「日経ビジネス」(週刊)と「日経ベンチャー」(月刊)を読んでいます。もちろん、「日経ヘルスケア」も読んでいます。なぜこの経済2誌を読むようになったかというと、私が北九州で、経済界の2世の会に入ったからだと思います。日経ビジネスは、日本の大企業の社長役員向けで、日経ベンチャーは、中小企業の社長向けの雑誌です。こんな医療に関係ない本を読んで何の役に立つだろうかと思われるかもしれませんが、それが結構役に立つのです。  まず、第一に、気が大きくなります。何百億円の借金を何とか立て直して返済したとかいう記事を見ると、自分の借金はたいした事ないのだと安堵(?)させてくれます。頑張れば何とかなるかなと勇気を与えてくれます。

参考になる失敗の研究

倒産した会社の分析の記事が出てきますが、私は必ず読みます。なぜ失敗したのか、失敗学は大変参考になります。自分が失敗する前に他人のした事を学べる訳ですから。「敗軍の将兵を語る」という記事を読んでいると、だいたい失敗する人は「他人が悪い」と言う人が多いので、言い訳しない様、自分を戒めるよう努めています。また、倒産の事例研究では、「3代目が、親を助けた番頭さんを無視して、己の力を過信し、無理な事業拡大をして失敗した」ケースや、「3代目が苦労知らずで、(2代目までは、親の苦労する後ろ姿を見ているので大丈夫らしいです。)出来も悪く、趣味等に無駄遣いして、お金を遣い果たしたケースが多いので、3代目の私としては、本当に参考になり、本分及び自分の力をわきまえるようにしています。

病院も会社も悩みは同じ

日経ベンチャーには、私と同じ悩みがよく登場します。「従業員のやる気を上げるには」、「福利厚生」、「接遇」、「安全」どれも病院に当てはまります。ある中小企業の社長の「一流の人材が集まらない」という悩みが載っていました。答えは「二流の人間を一流並みに能力を引き出すのが一流の経営者じゃないでしょうか?」。この言葉にはハッとしました。「中小病院には人が集まらんもんねえ」といつも言い訳がましく言っていましたが、その考えは捨てました。

実務に役立つ記事も

日経ベンチャーには、「銀行からの資金の引き出し方」等、実務に役立つ記事も有ります。しかし、特別なテクニックがある訳ではなく、やはりトップの姿勢が問われる様です。この記事で、良い業績予想ばかりではなく、「とても良い」、「普通にいって」、「最悪の場合」の3つの計画を銀行へ示せと書いてありましたが、実際実行してみると、やはり銀行から高い評価を得る事ができました。

医師が世間知らずと言われないために

先日、同世代の理事長先生と話をしていると、この2誌を読んでいるとの事で、とても嬉しく思いました。 医師は、私も含め、世間知らずとよく言われ、少なからず当たっているかもしれません。少しだけでも一般の常識というのがどのあたりにあるのか、垣間見るのも本当に良い事だと思います。

(福岡県私設病院協会ニュースに掲載)

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ギューリック3世と新青い目の人形 (Friendship Doll)

皆さん「青い目の人形」が昔アメリカから日本へ送られた事はおぼろげに知っておられるかもしれません。しかしこれは野口雨情の童謡「青い目の人形」とは直接関係はないのです。昭和の初期にアメリカから贈られたFriendship Dollをわかりやすくこう呼んでいるのです。(友情人形と訳すべきですが、なじみのある青い目の人形と表記させていただきます。) この青い目の人形を贈る運動をしたギューリック1世の孫のギューリック3世が再び人形を贈り始め、その2体が若松と小倉に到着しました。又、この方が来年には、北九州へ来られるという事なので、広く皆様に御紹介したいと思います。

青い目の人形の時代背景

ギューリック1世

1920年代のアメリカ。経済は不況にあえぎ、失業者は増加の一途をたどっていました。低賃金でよく働く日本人移民労働者への反感、人種的な蔑視等により反日感情は高まり、日米関係は悪化する一方でした。日本に20年あまり住んだこともある親日家シドニー・ギューリック1世は心を痛めていました。そこで世界の平和は子供からという理念のもとに日本の子供達に人形を送る事を計画しました。多数のボランティアが関わって12,739体の人形がパスポートと片道キップを携えて昭和2年(1927年)日本へ到着しました。
 日本各地の幼稚園や小学校で大歓迎を受けました。横浜の式典では、有吉忠一市長が歓迎し、ケンパー・アメリカ総領事が「誰でも人形を見るとほほ笑みます。すべての日本人のほほ笑みと、すべてのアメリカ人のほほ笑みが一緒になったら、世界の人をほほ笑ませることができるかもしれない」と挨拶しました。そのお礼に子供達がお金を出し合って各県の名前をつけた「答礼人形」が日本からアメリカへ送られました。
 しかし、昭和16年(1941年)日本とアメリカは戦争に突入します。一転して青い目の人形は「憎悪」の対象となり、ほとんどが壊されたり焼き捨てられたり竹やりで刺されたりしました。「児童は叫ぶ叩き壊せ青い目の人形」というタイトルの新聞記事もみられます。一方で、人形達の悲しい運命を案ずる人の手によってこっそりかくまわれ、日本全体で218体が残っている事が確認されています。福岡県では3体が確認されています。一体は嘉穂町の町立大隈小学校「ペッギィ」ちゃん。当時の女性教師がこっそり家で保管していました。もう一体は志摩町可也小学校の「ルース」ちゃん。そっと天井裏に隠していたのを 1979年に校舎が改修される時に見つかりました。さらにもう一体は城島町立城島小学校の一体。名前は不明、学校の押し入れの隅におかれていました。

新青い目の人形

ギューリック3世夫妻

1987年、横浜人形の家の開館式出席の為に来日したギューリック3世は、60年前祖父のギューリック1世が人形を贈って、子供たちに日米親善の心を育みたいとした意義を再確認しました。そこで、祖父にならって今度は3世が新たに10体の人形を日本へ贈りました。奥さんが服を縫いボストンバックを作り、着替えも携えました。これが、新青い目の人形の始まりです。1988年ギューリック3世は来日され、さらに11体の人形がギューリック1世ゆかりのあるところに贈られ各地で熱烈な歓迎を受けました。その後、年間数体ずつ日本各地へ贈られています。

福岡県初の新青い目の人形

若松中央小のハンナ

芳野敏章(芳野病院 前院長)の著書「若松今昔物語」に昭和2年浜町小学校へ友情人形が送られたけれども今はない事が書かれていました。今年3月これがギューリック3世の知る所となり、統合後の若松中央小学校へ新青い目の人形ハンナが送られました。私の調べた範囲では福岡県初の事の様です。又、私の息子が今年卒業した福岡教育大学附属小倉小学校へもお願いすると快く送って下さり、10月9日青い目の人形ジェシカの盛大な歓迎式が行なわれました。私とギューリック3世はもう何度もメールでやり取りしています。90周年を迎える当院の初代院長の妹がちょうど1920年代にアメリカヘ移住し苦労した事。又、浜町小学校で全校の代表として、二代目院長 芳野敏章の姉が人形を受けとり又、敏章もその場にいた事等に興味を持って下さっており、来年北九州にも来るのを楽しみにしているとの事です。
 皆さんおぼろげながら知っていた青い目の人形、よくわかっていただけましたでしょうか。これからも送り続けるとのことでサポートもしていきたいと思います。11月に北九州国際交流団体ネットワークを中心にギューリック氏受入れの委員会が発足しました。私も委員になっておりますので、北九州市へ来られた時は何か皆様の御協力をあおぐかもしれません。その時はよろしくお願いします。

西日本新聞H15.4.20記事 附属小倉小の人形贈呈式 附属小倉小のジェシカ

(北九州市医報 (平成15年12月) 第557号に掲載)

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新年雑感

新年明けましておめでとうございます。

20世紀の終わりはハウステンボスでカウントダウンに参加し、21000発の花火とともに21世紀を迎えることができ大変幸せでした。このハウステンボスは一応テーマパークといわれていますが、私は一つの街だと思っています。それ由、入場してもアミューズメントには入らず、街だけを楽しんでゆっくりとします。どうして、この街を気にいっているかというと、何でも「本物」を作ろうとしている事に感銘を受けたからです。例えばレンガも、輸入して、一つずつ積み上げていますし、どの建物をとっても手抜きがありません。ホテルヨーロッパも、ドムトールン(塔)もパレスハウステンボスも、忠実に再現しています。これが、色をぬっただけの、のっぺらぼうの「館」や「ホテル」で有れば、がっかりして、もう二度と行かないでしょう。何事も本物指向でいくとお金と手間はかかります。しかし、見る人にとってみれば違いは一目瞭然なのです。

一度ハウステンボス内で神近前社長の話を10数人で聞く機会が有りました。写真や業績からすると、やり手の少し恐い方かと思っていましたが、正反対で、とてもやさしい人だという感じがしました。にこやかに、しかもとうとうと、自分のロマンを語る姿には感銘を受け、すぐにファンになりました。人をひきつける魅力が有りました。その話の中で堤防の話が出ました。ハウステンボスの堤防は、コンクリートではなく石積みなのです。これは、オランダから学んだとのことでした。「コンクリートは100年もたつと水を吸ってズタズタになる。堤防は永久に持たなければいけないから、砂と土と自然の石で作るものだ。雨が降って地上に注いで泥水と一緒に陸の微生物が水辺に流れていき、風が吹いて海の微生物が水辺に打上げられる。水辺というのは陸と海の微生物がまじりあって浄化作用を行なっている....」というような話で、それを早速ハウステンボスで実行しています。すぐに良いと思った事は実際やるところがすばらしいです。又、この土地はもともと工業用地であったので、土壌改良をまずやって土地を生き返らせ、木を植えています。水に関しても、海水を1日1000m3真水に変える淡水プラントも設置。下水処理システムも完備し、散水等に水を再利用しています。

私が最初に申しました様に「本物指向」、いいと思ったことは絶対やる人なのです。自分の明確なロマンを持ち、その夢を絶対実現するのだという強い信念には、本当に感銘を受けました。共感する人も出てきて、支援者は増え、事業は継続され、街は本当の街として栄えていきます。

3年前に当院は増築改造しましたが、その時自分なりには神近氏の考えの影響を受け、「本当によいものを作れば、人は共感してくれる」という信念のもとにやりました。それには自分なりに満足しています。

今世紀も既に始まりました。やはり本物指向の傾向はより強まっていくでしょう。患者さんに選ばれる病院になる為には、ほんの部分的な手抜きも許されません。厳しい目に耐える病院づくり、信念をきちんと実行していくことが重要になるでしょう。

皆さん、ハウステンボスはオランダをただ真似ただけのテーマパーク思われていたかも知れませんが、そうではなく本物をめざしたすばらしい都市なのです。一度訪れてみて下さい。

(福岡県私設病院協会ニュース 平成13年1月号に掲載)

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異業種交流

最近、異業種間交流が盛んに言われます。今、世間では、何とかこの不況を乗り切ろう、何か商売のネタは他に転がっていないかと、アンテナを拡げて、他の業種の人と接し、熱心に情報を仕入れています。それに比べて私も含め、医師という職業は、付き合っている友人はほとんど医師ということが多い様です。きっとそれで仕事ができるからなのだろうと思います。

4~5年前私は、北九州市にある平成会という2世経営者の会に入りました。北九州のトップの企業の2世の集まりです。20数人の小じんまりした会です。もう社長の人もいますし、副社長の人もいます。会合は、2ヶ月に1回ですが、毎回楽しみにしています。なぜかというと、やはり日頃聞けない経営の話が聞け、又、2世の共通の悩みもお互い話し合えるからです。

入ったきっかけというのは、この会の講演に呼ばれ、私の専門の大腸癌の話をした事でした。さて、講演後懇親会に移って話をしていると、半数位が高校の先輩でした。そして、色々な話をして、私が、3代目の後継という話にもなり、「同じ悩みを持つ者同志、君も会に入らんね」と誘われ、その場で、「入れて下さい」と言ってしまいました。

まず、最初はオブザーバーとして、海の中道ホテルでの合宿に参加しましたが、これがとても印象的な会合でした。経済の勉強の後、宴会。それまでは普通でしたが、その後、最上階のバーに移ってからが、違っていました。

少し飲んだ後、「それでは、今年の反省と来年の抱負をお互い発表しましょう」と誰ともなく提案。順番に意見を述べ始めました。年の頃は私と同じ位でした。皆若いけれど、しっかりした意見を述べていて、大変参考になりました。一番印象に残ったのは、私より年下のある紙業の2代目社長です。「今まで時代・時代でその時代の主力となる事業の柱となるものがあった。しかし、今は先が見えない。コンピューター時代で紙の使用がなくなるのではないかと本気で心配している。今は、次の柱を見つけるのに躍起になっている。」という内容でした。「時代、時代の柱…」大変参考になる言葉でした。とても清々しい飲み会でした。

かくして私も正式に入会する事となり、毎回楽しみにしています。何が楽しいかというと、まず年齢が近い。似た境遇にある。先生と呼ばれないというところです。色々な所で「先生」と呼ばれますが、実はこれは私はあまり好きではないのです。私には持って生まれた「芳野」という苗字が有るのでそれで呼ばれたいのが本音です。皆さんに「芳野さん」と呼ばれ、時には「オイ、芳野」と呼ばれ、心底親しみを感じます。

「医療界の常識は、業界の非常識」と冗談半分、本気半分で言われた事が有ります。もちろん、私病協の会員の先生方は、経営に関して、常日頃、業界の常識を行なっていることは十分存じています。しかし、彼らに言わせると「まだ脇の甘い所もあるよ」という事でした。それと、私達ではどうにもならない事ですが、彼らは疑問に思っている事もたくさんあります。例えば広告規制等の法律ですが、そんな法律が有るなんて信じられない様です。色々な意見はさておき、やはり異業種の人と話をするのは、とても楽しく、リラックスするものです。又、違った観点からも物が見られる様な気がします。これからは、こういう友人も大いに大事にして損得抜きの友情を育てていきたいと思っています。

(福岡県私設病院協会ニュース 平成11年4月号に掲載)

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おむつとインフォームドコンセント

NO Questionに怒る主治医

「何も質問がないとは何事か!」主治医は顔を真っ赤にして怒りました…数年前のアメリカでの話です。ある移植手術を受ける日本人が渡来し、手術前に主治医から手術について非常に長時間、丁寧に説明を受けました。そして主治医は「何か質問は?」と聞くとその日本人は「何もありません」と答えたからです。日本人としては「先生にすべておまかせします。よろしくお願いします。」と誠意を込めた言葉のつもりが「人体のことなのに質問がないとはふざけている」と受け取られたのです。この話はインフォームドコンセントの精神の日米の較差を如実に物語っていると思います。 インフォームドコンセントについては、アメリカの方が日本より先進国の様に思われますので、アメリカでの体験を少し紹介させていただきます。

見慣れぬ掲示板

私の研修していたBuffalo General Hospitalで、ある日、病院の中に"患者さんの権利"という日本では見慣れない掲示物を発見しました。記録にとっていないので私の記憶をたどって紹介してみます。

① 患者さんは、あなたが今、医療行為を受けようとしている人に名前を聞く権利があります。

そういえばアメリカの外来での医師と患者との最初の出会いは握手と自己紹介でした。「こんにちは、私はドクター○○です。今日はどうしました?」この握手というのは何とも気恥しいのですが、患者と医師の間にスキンシップが最初からあって非常に良いものです。日本では患者さんは「医師」に診てもらうのではなく、「病院」に診てもらっているつもりなので医師の名前をあまり気にしない様ですし、医師に対して名前をきくのは失礼と思っているのではないでしょうか。医師の名前を覚えず、例えば「2番の先生」等診察室番号で呼ばれているのを聞くと誠にがっかりしてしまいます。

②患者さんは、あなたが今、投与されようとしている薬や医療行為について効果と副作用を聞く権利があります。

これは誠に最もな話です。しかし、わが身を振り返るに副作用まで十分話しているだろうかと考えると自信はありません。

③患者さんは今から受けようとする医療行為について、それを行う医師または医療従事者に説明を求める権利があります。

例えばレントゲンを撮られる時にでも、どこのレントゲンを撮るのかと技師にも聞いてよいということでしょう。インフォームドコンセントはなるほど医師だけの問題ではないのです。もちろん看護婦さんに「この注射は何に効くのか」と聞いてよいはずですが、日本ではあまりなさそうです。 もういくつか書いてあったのですが忘れてしまいましたが、こういう「権利」を「行使」する前に「説明」して「合意 承諾」するのがインフォームドコンセントだと思います。

インフォームドコンセントはおむつである

インフォームドコンセントを常々頭の中におく為に次の言葉があります。「おむつ」の「Diaper」の一字違いの造語で「Diapar」です。"Dia" は"Diagnosis"です。つまり、「診断」をまず説明しなければなりません。米国はがん告知が100%ですが、日本ではそうではないので、まず第1歩でインフォームドコンセントはつまずいてしまいます。しかし、がん告知の善し悪しは何とも言えないかもしれません。

あなたは何癌ですか?

話はそれますが、私のいた病院で大きな衝撃を受ける場面にでくわしました。肺癌で胸腔内に血液が貯留し、穿刺する為に病室へ行くチーフレジデントについて行きました。チーフレジデントの最初の一声が「あなたは何癌ですか?」えっとわが耳を疑ってびっくりしましたが、「あ、肺癌ですよ。」と、いとも簡単に答えたのに2度びっくりしました。全くの血液を2㍑位ひいてチーフレジデントは言いました。「ほら、こんなものが貯まっていたよ。こりゃ血だよ。」「おーそうか、でも楽になって良かった。」と患者は答え、私は3度目の驚きを味わいました。私の受けた研修医教育では腹腔や胸腔を穿刺した時、血液がひけたら患者が驚くので、布でかくすよう言われました。これも一種のインフォームドコンセントなのでしょうか。よくわかりません。
"Diapar"の"p"は"procedure"で例えば手術ならば、どことどこをこう切ってつなぐとか、あるいは検査ならばどこに針を刺すとかでしょう。

代案は何か?

"a"は"alternatives"で代案とでもいうのでしょう。他にこういう方法があるという説明です。今、乳癌の縮小手術が話題となっている様ですが、ニューヨーク州では特別のformがあり、それに色々な治療法の説明を受けた証明としてサインする様になっていたと思います。例えば、乳癌の患者がいたとして、これは手術しないといけないという言葉を信じて、手術して乳房がなくなったが、後で聞いてみると癌だけをくりぬいて放射線をかける方法もあった、私は寿命が縮んだってその方が良かった、と思う人もいるからです。これもある、あれもあるとあらゆる方法を説明しなかればならないということです。何もしないというのももちろん一つの代案です。
"r"は"risk"の意味で、どれ位危険かということです。
"Diapar"のうち今反省してみると"a"の代案の部分ではないだろうかと思います。これからもインフォームドコンセントを考える時はオ・ム・ツ(diapar)と頭に思い浮かべてより一層努力し、実践していきたいと思います。

(北九州市医報 平成6年2月号に掲載)

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アメリカで驚いた事

昭和60年から昭和62年までニューヨーク州立大学バッファロー校に留学しておりました。色々な場所で 様々な驚きを経験しましたので、思い出すままに書いていきたいと思います。

友人の家にて

アメリカで何を苦労したかと言えば、まず自分の思っている事をすべて言わないと相手に理解してもらえないと 言う事でした。英語は、大学時代に医学英語クラブの部長をしていたので、流暢といかないまでも、意志の伝達は何とかできました。しかし、そういう言葉の問題以前に、習慣の差という大きな壁がありました。日本では、“察する”という事がありますがアメリカでは全くありません。何か欲しければ大声で何度もくり返さなければ手に入らないのです。ある日、友達の家を訪ねて「ジュースはいるか?」と聞かれました。喉が少し乾いて本当 は欲しかったのですが、日本の遠慮の精神でつい「ノー」と言ってしまいました。永久に出てきませんでした。 日本の様に「いえ、どうぞご遠慮なく」等、再度勧めたりは絶対にしません。

研究室にて

日常生活ならまだ実害はありまでんが、実験をする上では、非常に大変です。「私はこれをするのに、あれとあれがいる」と声を大にして主張しないと誰も何もしてくれません。いつか、実験の部品が足りないので「早くいる」と言うと「まだ来てない」と言うので「どうすりゃいいんだ」と聞くと、「待ったらいい」という具合で、日本のテンポで物事が運ぶと思ったら大間違いです。彼らは、口笛を吹きながら仕事をする人達ですから。色々苦労はありましたが、なんとか論文は出来上がりました。今まで書いた研究補助の人達とは違い、研究者は研究に対し、本当に厳しいものを持っています。そしてエネルギーに満ちあふれています。ディスカッションもよく行われ、本当に忌彈のない意見が出されます。教授も大学院生も学生もありせん。思ったことを何でも言います。こういう習慣は、小さな頃から養われたものと思われます。小学校の頃から、授業で人の前で話をするトレーニングがあるそうです。

授業にて

授業に行ってみて、医学部の学生はとても積極的で驚きました。授業中は、ともかくよく手を挙げて質問しますし、わからなければ納得いくまで聞きます。日本ではどうしょうか。授業中にノートをとって、“後で”理解しようとします。これはもちろん、アメリカの大学では、授業前に当日の講義の内容を印刷して配ってあるので、可能なのかもしれませんが。何か教える人が質問すると、間違う事を気にせず、皆が口々に答えるので教える側から指名する必要はありません。
しかし、そういう良い面もありますが、授業中一番前の席で、教授の前でパンを食べている人がいたのには驚きました。さらに、水筒を出してコーヒーを飲む人、質問をしながらガムをかむ人、色々でした。授業の途中から帰る人も、堂々としており、前にしか入口がない教室でも教える人の目の前を横切って平気で帰って行きます。フレンドリーなのか無礼なのか、よくわかりません。女子の医学生が多いのにも、驚きました。私がいた大学で40%位、全国平均でも 30~35%位とのことです。日本でも今は 随分増えているらしいですね。

病院にて

大学病院に一歩入って驚いたのは、待合室の豪華さです。フカフカのソファーがあり大きな壁画もありました。建物もそうですが、病院でのレジデントの鍛われ方もかなり違い、厳しいものでした。例えば、水曜日は朝7時から入退院カンファレンスで、病院に関係している開業医も参加し、「この時、何でこの検査をしてないのか」等、かなり厳しい質問をします。この開業医と言うのは、例えば外科なら近くにクリニックを持っており、手術患者は大学病院に送り、自分で手術するという医師のことです。いわゆるオープン制度です。ここで、OBMという略語を初めて耳にしました。Open by mistakeつまり、開腹すべきでないのに、開腹してしまった時など使う様です。さて、この入退院カンファレンスのあと休憩10分間で、立ってパンとコーヒーで朝食を済ませます。8時から9時まで、症例検討会で、主に実習中の学生が鍛えられます。銃で撃たれた症例など、アメリカらしいと思いました。この様に、朝9時には既に2時間のカンファレンスを終えているのです。
 一般に、病院は高額で入院期間が短いという事でしたが、具体的な費用というのは、聞きませんでした。一時期、コロノスコピーで有名なシンヤ先生の、マンハッタンにあるクリニックに勉強に行っていましたが、コロノスコピー1回が、確か$750位でした。ポリペクトミーをすると$1000を越していた様です。この値段は、シンヤ先生が10数万例のコロノスコピーをやっていて有名なので特に高い、というわけではないそうです。1日20人位やりますので、週5 日で何万$……等と、すぐ計算して、何で日本ではこんなに安いのだろうか、と嘆いてしまいます。ちなみに、招待されたシンヤ先生の別荘は100万坪でした。
 入院期間の事を言いますと、お産を例にとると、正常分娩で3日、帝切で7日で退院させられます。

銀行

病院を一歩離れても、色々な驚きがありました。銀行は、日本ではまず間違いは起こるはずがない、と皆信用している機関ですが、アメリカでは違います。銀行の送金ミスで、はがゆい思いをしました。日本のF銀行からアメリカのA銀行を経由し、私の口座のあるB銀行へ入金してもらったのですが、一向に届かないのでA銀行、B銀行どちらに問い合せてもらちがあきません。結局A銀行が、B銀行でなく何の関係もないC銀行へ送金していました。B銀行に「早く処理してくれ」と、頼むと「C銀行がなかなか返してくれない」といいわけをします。いったい何が本当なのか、何回もA銀行へ電話しましたが、ついに「すみません」は聞かれませんでした。日本の銀行ならいったいどうなっていただろうか、と思います。日本のF銀行のN氏は全く落ち度がなかったのに、何回も国際電話をかけてきて、「申し訳ございません」を繰り返しました。銀行のミスは、それが1回ではありません。何回も起こりました。ある時は、残高が異常に少ないと思ったら、引き出した金額が2回ダブって引かれていました。日本の銀行は優秀です。  ミスを認めない例は、まだまだあります。新聞の請求書が間違って送ってきたので会社へ電話をすると「誰かが間違って送った。私が正しいのを送る」と威張って言い、もちろん謝りませんでした。
 実害はなかったのですが、次なるものもあります。アパートを捜しに行って、管理人と一緒に部屋を見に行きましたが、鍵が開きません。「前の住人が勝手に鍵を変えている」といいわけし、ミスを認めませんでしたが、管理人が間違えて別の部屋の鍵を持ってきただけでした。ここまで来ると笑ってしまいます。

T.V.

アメリカはケーブルテレビが発達しています。  日本も狭い国なのでもっと伸びるはずと思います。我が家もケーブルテレビをひいており26チャンネル映りました。ワシントンの友人の家では、99チャンネルでした。映画だけの局HBOは、ある月は83本映画を放映していました。天気予報だけの局、TVショッピングだけの局等色々ありましたが、“Life Time”というおもしろい局がありました。日曜日はMedical Televisionというプログラムで、一日中医学番組をやっていました。例えば、内科Update、外科Update、産婦人科Update、etc 途中のCMはもちろん薬ばかりでこれは、こういう菌に効果がある等専門的な事を言っておりました。日頃、自分で処方している薬のTVコマーシャルを見ると変な気がしました。番組の最初に出てきて説明する人は、てっきりプロのアナウンサーと思ったら医者だとわかって驚きました。実に、うまい話し方でしたから。
 クイズ番組も多くありましたが、あまりに賞金が大きすぎて嫌いでした。$5000~$6000はざらで、車をもらったりも日常茶飯事、あるいは現金を目の前において、それを渡したりする等、あまり好きではありませんでした。

感心した事

アメリカ人は“ダメでモトモト精神”があるように思えます。そのせいか、かなり自己を主張しますが、ダメとわかると引き際が早い事には感心します。
 日本のデパートで、店員につきまとわれて嫌な思いをした事は多いのですが、アメリカでは「見ているだけ」と言うとニコッと笑って、「楽しんでください」と言ってどこかへサッサと消えてしまいます。あっさりしていて、実に気分が良いものです。電話による勧誘も「興味ない」と一言言えば「OK、サンキュー」と言って引き下がります。日本でまねしてほしいものです。
 色々思いつくままに書いてみましたが、何か国際理解に役立ったでしょうか。日本は、単一民族で何でも相手が察してくれて、とても有難いものです。しかし、アメリカは、色々な国から色々な人種の人がやって来ており、様々な考え方をするので、やはり“自分をいかに表現”するかが、非常に大切な事となってきます。また、大変な競争社会だと実感しました。2年間という短い間でしたが、大自然の中でバーベキューを楽しんだり、異文化に接し、戸惑ったり、数多くの経験ができ、医学的なことももちろんですが、それ以上に人生の多くの事を学んだ気がします。

(北九州市医報 平成3年11月号に掲載)
(東京都医師会雑誌 平成4年 2月号に掲載)

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アメリカ見聞録2

オリンピックも終りました。最近徐々にですが、実力あるいは実力以上の力を国際舞台で発揮する若い選手も出てきました。これはきっと今までの「お国の為」とか「勝たなければ皆に顔向けできない」とかいうプレッシャーを感じない世代が育ってきたからではないでしょうか。壮行会で「頑張ってね」と100回は言われたと思います。その度毎に緊張していたはずです。アメリカでは、何というでしょうか。「リラックス、テイク イトイージー」(リラックスして気楽にやってこいよ)と言います。日本の選手は緊張をより高められ、アメリカの選手はよりリラックスしてきます。この差は大きいと思います。これが日本が今までオリンピックその他の国際競技会で勝てなかった理由ではないでしょうか。

この様に、今まで何の疑問ももたずに色々発言していたのに、アメリカへ行って、ふと180°違う発想にぶつかりました。今回はそのことを書いてみましょう。

例えば、兄弟げんかの時にあなたは必ず「お兄ちゃんだからがまんしなさい」と言うでしょう。私も何回も言われて理不尽に思ったものです。子供がそんな理屈をのみこめるでしょうか?無理です。アメリカでは年下の者に「お兄さんの方が早く産まれて偉いのだからあなたががまんしなさい」といって上の子の肩を持ちます。この方が合理的かもしれないですね。

日本で道を歩いていると、お母さんが子供を呼んでいます。「早く来なさい」必ず早くがついています。そんなに急いでいるのでしょうか。そうせかさなくとも良いのではないでしょうか。

アメリカで運転免許の試験を受けに行きました。辞書持ち込み可でさすがアメリカと思いましたが、「制限時間は何分ですか」と聞いたら「あなたが終わるまで」と言われ、一瞬耳を疑いました。何でも決められた時間内にできるだけ早く仕事をするように教育された日本人には意外な事でした。

「せまい日本そんなに急いでどこへ行く」という言葉がありましたが、その通りです。

思いつくだけで、これくらい発想の差を示すエピソードがあります。アメリカへ行って以来、「これは従来はこうだが、本当にその必要があるだろうか」等、物事を進めるのに必ず考えてみるくせがつき、大変プランになりました。

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夏…アウトドアライフ

BBQ……何と読むかおわかりですか。

バーベキューと読みます。これから夏にかけていよいよアウトドアシーズンの幕明けで、バーベキューの季節となります。
2年間のアメリカ留学生活中、私達のライフスタイルで最も変わった事といえば、野外に出る事が大好きになったことでしょう。バーベキューというと、皆さんおおげさなイメージがあり、何か串に刺さないといけないと誤解している人もいるかもしれませんが、野外焼肉という方がいいかもしれません。アメリカはバーベキュー用の台が公園に設置してあり、より簡単にできました。ます炭(本当の炭でなく、泥を固めたようなもの)を置き、液体の点火液をバーッとふりかけ、ボッとマッチで火をつけ、それでおしまい。後は奥さんや子供がその辺で遊び、御主人が肉をひっくり返しているというのが一般的風景でした。

私達も近くのエリコットクリークという公園に行って、しょっ中バーベキューをしていました。夏は、サマーセービングタイムで時計を1時間すすめるので、夜 9時位まで明るく、平日にバーベキューをしたり、夕食後ゴルフに行ったりとのんびりと過ごしていました。この公園は小さなクリーク(運河)沿いにあり、向かいには自家用のボードを係留する桟橋を持った家が並んでいました。そして家族でワイワイいいながら出航している風景を見るとうらやましい限りでした。当時は日本人の一家の収入がアメリカ人のそれを上回ったとかいう報道もありましたが、実感としてはアメリカ人の方が数倍豊かな暮らしに思えました。時間にせかされず、時がゆっくり流れているようでした。

今日も炭と着火剤とバーベキューセットを持って外へとびだします。

(芳野病院 広報誌くきの塔に掲載)

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